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2019.11.22お知らせ
奈良の食育・栄養を考える

講演

令和元年11月19日(火)奈良女子大学にて

『奈良の食育・栄養を考える』が本日のテーマ
株式会社 池利 専務取締役 池田 利秀

生活環境学部の学生の皆さんを前にし、大きくは三輪素麺の歴史奈良の食育について語った。

まずは、株式会社 池利の周辺地図を示し、「三輪」という地域について説明した。「三輪山」があり、山のふもとには「大神神社(おおみわじんじゃ)」という三輪山そのものをご神体とする神社がある。この三輪山周辺が「三輪」と呼ばれる地域。この「三輪」で作られた素麺だから「三輪素麺」と呼ばれているという。さらに赤く示した地域をさし、山のふもとに三輪素麺生産者が多く集まっていることを加えた。

そして、三輪素麺の歴史を深めていく。三輪素麺は1300年ほど前に誕生、「大神神社」の神主の大神朝狭井久佐(おおみわのあそんさいくさ)の次男の穀主(たねぬし)が三輪の地に小麦を撒かせ作りはじめたのが起源とされ、その原型は下の写真「索餅(さくべい)」とされる。

「索餅」は小麦粉を練り、棒状にしたものをねじって乾燥させたもの。当時、大切な保存食であり、蒸すか油であげていたようである。もちろん非常に貴重な食べ物であるため、特別な時、特別な人にしか食べることができないものであったとされる。

次に素麺が進化するのは鎌倉から室町時代の「石臼」が広まったことにある。小麦は非常にかたく、粉にすることは難しい。細かく粉砕された粉があることにより、素麺が伸び麺になっていった。当時の『庭訓往来(ていきんおうらい)』という書物に「索麺(さくめん)」という素麺を示す言葉がある。

さらに、江戸時代には現在の素麺の姿になっていたとされ、書物『日本山海名物図絵(にほんさんかいめいぶつずえ』にはっきりと示されている。庶民の口にも入るようになったのは大切な点といえる。

「索餅」から現在の「素麺」への進化の中で、注目すべき点が「お伊勢参り」ではないかと池田は言う。

「お伊勢参り」が流行したのは江戸時代、大阪は堺あたりから三輪を抜け、伊勢へと通じる伊勢街道を多くの人が行き来し、三輪は宿場町として栄えていた。この「お伊勢参り」への道中で旅人の疲れを癒したのが「三輪素麺」であったと。

日本の素麺産地は伊勢神宮より西日本に集中している。お伊勢参りで三輪に宿泊された方達が三輪素麺を食べ、その三輪素麺の技術を各地に持ちかえったことで、西日本にはたくさんの素麺の産地があるという点は興味深い。

また、数ある素麺の産地があるが、素麺づくりに適している風土について述べている。

素麺は小麦粉に水を加えて練り合わせる。するとゴムのような性質をもつ「グルテン」が発生する。この「グルテン」を熟成させ、コントロールしやすいのは寒い時期であり、ちょうど今あたりから素麺づくりの最盛期を迎える。朝晩の冷え込みが厳しく、日中は気温が上がる。また雨が少なくあまり風が吹かない場所が最適。つまりは盆地や内陸性の気候が適しているのである。

まさに奈良もそのとおり、天気予報で奈良の気温をみると、最低気温が低く、最高気温は他の地域と変わらないのが分かるはず。

三輪という風土を生かし、長い間育まれてきた三輪素麺。地域ならではのご当地ブランドを財産とする証「GIマーク」の登録を農林水産省から受けており、そのGIマークに「素麺発祥の地」と明記されている。これからナショナルブランドとしてではなく、奈良の特産物として「三輪素麺」を広めていきたい。と語っている。

 

次に奈良の食として事前に受けていた質問に答えている。

三輪そうめんの原料とは?

素麺の原料は小麦粉と塩と油。油は麺に練りこんでいるのではなく、乾燥を防ぐために表面に塗っているもの。素麺はゆでると、油はほとんど残りません。

三輪そうめんと他産地との違いは?

三輪そうめんは素麺の元祖。他の産地と作り方に違いはありません。一番の違いは「小麦粉」。三輪そうめんには強力粉が使われており、強力粉を使うことで三輪そうめんならではの強いコシがうまれます。

奈良の食育と学校の関わりについて

当社では工場見学ができる見学ラインはありませんが、ご連絡をいただければ、お受けさせていただくようにしています。

中でも”素麺ひきのばし体験”は好評で、伸びない素麺と伸びる素麺の違いを体験いただけます。小さな取組ですが、素麺業界全体の活性化につながればと思い行っています。

「奈良にうまいものなし」といわれる奈良の食について

奈良においしいものが無いというよりも、有名なおいしいものが無いだけ。「三輪そうめん」も奈良の食べ物としてまだまだ認知されておらず、これからも広めていく必要があります。

奈良の郷土料理を知りたい

少し調べてみるだけで、素麺、奈良漬、茶粥、吉野葛、柿の葉ずしがでてきます。食材としては「大和野菜」とよばれるものがあります。

「茶粥」と「きな粉雑煮」を紹介

1つ目は「茶樂」。ほうじ茶を使ってご飯を炊き、おかき(あられ)を入れて食べるのが一般的だと思いますが、私の家では普段の白いご飯に、四角いおかきを手で割って、熱いほうじ茶をかけ、ごま塩をふっていただいています。ほうじ茶の香りが香ばしくおいしいですよ。

2つ目は「きな粉雑煮」。奈良盆地南部の食べ方だと思われますが、お正月に食べるお雑煮のおもちを一度だしてきな粉にまぶしていただきます。実家のお正月には必ず「きな粉」があります。

奈良の食のこれから

奈良が都であった時代は古く、食の発展はあまりみられません。その後も大阪と京都が近く、残念ながら奈良で食を発展させる理由がなかったのでしょう。

ですが、あきらめてはダメだと思います。観光名所に食はつきもの。「ただおいしいだけ」では弱く、イベント性など要素が必要でしょう。もしかしたら、ちょうど今、奈良の食の転換期がきているかもしれません。

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