ブログ

  • TOP
  • ブログ
  • 奈良女子大学 なら学+(プラス)

2022.12.05お知らせ
奈良女子大学 なら学+(プラス)

令和4年11月15日(火)

秋も深まり、紅葉が一段と色を増す季節。
本年も奈良女子大学 「なら学+(プラス)」の講義へ参加いたしました。

奈良女子大学は奈良公園と近いため、鹿とも遭遇します。
奈良女ならでは。何気ない日常の1コマです。

奈良女子大学 教養教育科目 なら学+(プラス)

行政・民間からの多彩なゲストが、奈良の伝統産業、奈良の基幹産業について語り、
奈良の魅力を伝え、また地域が抱える問題を掘り下げ、
地域創生や解決策について学生と共に考えるという「地域志向科目」。

奈良県の特産品である「三輪そうめん」
本年度は冬の風物詩に名乗りをあげていきたい“にゅうめん”の拡散について、
三輪そうめんについて、池利の商品変遷、桜井市とはどんなまち?など
株式会社 池利 代表取締役 池田 利秀が講師を務めました。

新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、
手指の消毒をし、教室で聴講する学生は少人数、
150人を超える学生たちはオンライン授業となっています。

本日の講義は、『伝統産業・地場産業「素麺への理解を深め、課題を探る」』がテーマ
講義内容をピックアップし、ご紹介します。

 

■にゅうめんって何だ?

農林水産省のホームページに郷土料理として掲載されている「にゅうめん」。

「にゅうめん」とは、そうめんを温かくして食べる「そうめん料理の名前」です。
あまり知られていませんし、学生の皆様の中には食べたことがない方も多いと思います。

夏に食べる「冷やしそうめん」の方が圧倒的に認知度は高いです。
なぜ「にゅうめん」は知られていないのでしょうか?

 

私の考察です。

1.夏の定番すぎる

そうめんは夏の定番です。池利の三輪そうめんも夏にたくさん売れます。
そのため、われわれ素麺屋がにゅうめんを広める努力をしなかったことが原因でしょう。

2.メディアへの露出なし

夏はそうめんを使ったメニューがテレビや雑誌で数多く紹介されます。
冬になると飲食店やメディアで“にゅうめん”が
取り上げられることは、ほぼありません。

 

しかしながら、私の住んでいる地域では幼い頃から
“にゅうめん”が食卓に並んでいました。
冬に食べる“にゅうめん”が食文化として根付いているという点から、
郷土料理として認定されているのだと思います。

 

にゅうめんを広めよう!

池利でも“にゅうめん”を販売しております。

ちょうど今は、お歳暮の出荷の最盛期を迎えており、
たくさんのにゅうめん詰合わせがお客様のもとへ旅立っています。

そして奈良市内のお土産物屋さん、道の駅、ネットでも販売しています。
カップ付きですので、キャンプにだって持っていけます。

カップで手軽にお湯かけスープ素麺 5食入りはこちら >

 

■三輪そうめんって?

まず、三輪そうめんとは「三輪」という地名、その地で作られたから
「三輪そうめん」と呼ばれています。
三輪山を囲むように三輪素麺生産者がたくさん住んでいます。

三輪そうめんは「奈良県内で作られた素麺」と定義されていますので、
三輪以外の奈良県で作られたものも「三輪そうめん」として取り扱われます。

 

三輪そうめんのルーツ

三輪山のふもとにある大神神社(おおみわじんじゃ)は
三輪そうめんはもちろん全国のそうめんの神様です。

三輪そうめんの歴史は非常に古く、今から1300年ほど前に誕生したといわれています。
当時、都は飛鳥から奈良に移ろうとしている頃です。

大神神社の神主「大神朝狭井久佐(おおみわのあそんさいくさ)」の次男、
穀主(たねぬし)が三輪の地に小麦を撒かせ、
作り始めたのが始まりとされています。
当時は今のように細いものではなく、
索餅(さくべい)と呼ばれていました。

三輪そうめんが全国へ

全国のそうめん産地に色を付けています。

さて、何かに気が付かれるでしょうか?
実はそうめん産地は、西日本に集中しています。

これには理由があります。
江戸時代に「お伊勢参り」がはやります。

当時、三輪そうめんが作られている「三輪」は宿場町でした。
お伊勢参りへの道中、全国各地から人々が三輪へ訪れ、
ふるまわれた三輪そうめんのおいしさを知り、
手延べの技術とともに持ち帰ったためです。

 

そうめん作りに欠かせない奈良県の気候

全国のそうめん産地について、なぜ上図の地域が産地になっていたのでしょうか。

私が調べた中では「冬場に雨が少なく、朝と日中の寒暖差が大きい地域」が
そうめんの産地になっているようです。

兵庫県の揖保の糸も揖保川沿いで三輪とよく似た気候です。
小豆島も瀬戸内海ですが、実は三輪とよく似た気候なのです。

今でこそ空調設備がありますが、昔はありませんでした。

実は、朝と日中の温度差が大きいことは、
そうめんを伸ばすために必要な「熟成」に大きな影響を与えます。

さらに、奈良県における盆地特有の
風が弱く、空気が同じ場所にとどまる気候も大事な要素となります。

ちょうどよい湿気を含んだ空気がたまっている状態は、
そうめん作りに最適な状態なのです。

 

GIマークが三輪そうめんの証

三輪そうめんは「GIマーク」を取得しています。

「GIマーク」を知らない方のほうが大勢だと思います。
農林水産省は「地理的表示保護制度」を定めています。

「GIマーク」とは伝統的な生産方法や気候・風土・土壌などの生産地等の特性が
品質等の特性に結びついている産品について知的財産として登録し、
保護する制度が「地理的表示保護制度」とされています。

三輪そうめんはこのGIマーク第12号の登録されており、
三輪そうめんは全国の「素麺の発祥の地」と明記されています。

実は「三輪そうめん」は、日本のそうめんの元祖なのです。

 

そうめんとうどんの違い?

そうめんとうどんの違いってご存じですか?
実は法律で決めらえているのですが、太さの違いだけなのです。

きしめん 幅4.5mm以上 厚さ2.0mm未満
うどん  長径 1.7 mm以上
ひやむぎ 長径 1.3 mm以上 1.7 mm未満
そうめん 長径 1.3 mm未満

これだけ見ると「えっ」って感じなのですが、
うどん・そうめんは食べると随分違いがあります。

使用する原材料や作り方(製法)によって違いがでてきます。

私たちが作っている「三輪そうめん」は小麦粉と塩と水に、
ほんの少量米油を使用します。
さらに小麦粉の種類は強力粉(正確には準強力粉)を使用します。
そのため細いながらもしっかりしたコシのあるそうめんが出来上がります。

 

麺の製法

麺の製法には大きく分けて、3つあります。

三輪そうめんは、真ん中の引っ張って作る製法「手延べ製法」で行います。

手延べ製法の特徴は、こねた生地を少しづつ細くしながら、
引き延ばしていく製法で、少し引き延ばしては休憩、
引き延ばしては休憩と非常に手間暇をかけて作っていきます。
いわゆる「熟成時間を取る」という事です。
この熟成時間を取らないとそうめんは伸びてくれないのです。

このように少し引っ張り、熟成、少し引っ張り、熟成を繰り返し、
1本のそうめんを作るのに、おおよそ36時間以上かかります。約2日です。

この作り方だけは、昔と変わっていません。
ただ、すべて手で作っているのではなく、機械の力も借りています。

そうしなければ全国のお客様にそうめんをお届けすることが出来ず、
本当に奈良県の一部の地域でしか食べられていない麺となってしまいます。

三輪そうめんは手間暇かけて作られているため、
ツルツルでコシのある美味しいそうめんになるのです。

 

■桜井市とはどんなまち?

桜井市は奈良県中部に位置し、県の北西部に広がる奈良盆地の
東南部を占めています。
数多くの古墳が現存する歴史深い町。また明治時代から奈良県各地の
木材の集散地であったため、製材業が盛んで「木の町」とも呼ばれています。

桜井市にある寺社をご紹介します。

 

・大神神社(おおみわじんじゃ)

大きな神と書いて「おおみわ」と読みます。
拝殿はあるのですが本殿はありません。三輪山がご神体であり、
自然物を崇拝する神社として日本最古といわれています。

大神神社は「パワースポット」としても有名で、
なでると運気がアップするとされる「撫でウサギ」が境内にあります。

また、摂社(せっしゃ)に佐井神社という神社があり、
昔から「万病に効く『薬水』」が有名です。

私のおすすめは、佐井神社から登れる三輪山登山です。
もちろん神様のお山ですから登山といってはいけませんが、
標高467m、少々険しい道もあり、登りますと身を清められる思いになります。

ただ、現在コロナ感染防止のため、三輪山に登ることはできません。

 

・長谷寺(はせでら)

長い回廊を上がっていくと、大きな11面観音が有名です。

また、長谷寺はお花、紅葉の名所でもあり、写真映えします。
公式インスタグラムは、お坊さんが写真を撮影してアップしている珍しいお寺です。

余談ですが、長谷寺は全国のお寺の公式インスタグラムの中で、
2位のフォロワー数を有しています(1位は京都の清水寺)

 

・多武峰 談山神社(とうのみね たんざんじんじゃ)

「とうのみね たんざんじんしゃ」と読みます。

少々不便な場所にあるのですが、
山の中を散歩しながら境内めぐりはなかなかいいものです。

素晴らしい紅葉が見れます。春は桜がきれいです。
行楽シーズンは道がかなり渋滞しますのでご注意ください。

 

■池利と三輪そうめん

そうめん作りは、今から1300年前にはじまったといわれています。
徐々に細くなり、今の姿になっていきました。

 

【江戸】農業とそうめん作りの兼業

池利は江戸の末期1850年に創業しています。
創業とはいっても初代が結婚して、そうめん作りの技術と自分の家を持ったことからはじまっています。
この頃は主が農業です。農業の閑散期の冬場にそうめん作りは行われていました。
これは池利だけでなく、周りのみんなも同じ状況です。

まだこの頃は「そうめんを商いとしていた人」はいないでしょう。

 

【明治~大正】三輪そうめんの販売はじめました

明治時代には、大阪のお店と取引がはじまります。
大阪の市場の中のあるお店との取引と私は聞いています。
鉄道が整備されはじめた頃、荷車にそうめんをのせて運んだらしいです。

転機を迎えたのは大正時代、今はありませんが大阪の三越百貨店と取引がはじまりました。
このあたりから「農家」から「素麺屋」に変わっていったようです。

またこの頃に「包売(つつみうり)」がはじまります。
今でこそあたり前ですが、あらかじめ包装して販売する形です。

折れやすいそうめんにとっては画期的な販売方法でした。
「誰でも、どこでも販売できる」ようになったわけです。

 

【昭和】三輪そうめんというブランドの確立

昭和に入ってからは、次々と販売エリアが広がります。
池利にとってありがたかったのは、各地域の百貨店と取引ができたことです。

昭和の初めに大きな戦争がありますが、戦争の間もひっそりそうめんを作っていたようです。
食料統制があったことで、当時の池利の3代目(私の祖祖父)は何度となく捕らえられたと聞いています。
しかしながら、これにめげず、そうめん作りを続けました。

 

戦争が終わり、日本は高度成長期へ向かっていきます。
この時にそうめんも大きく飛躍します。
皆様も耳にしたことがあると思いますが「お中元にそうめん」で爆発的に売れていきます。
また、この頃に三輪そうめんの販売を行う企業も増えていき、
全国で三輪そうめんが販売されるようになります。

さらにテレビCMも行われました。池利だけでなく同業もテレビCMを行いましたので、
「三輪そうめん」という名前が一気に全国に拡大していきます。

本日の講義内容は「地場産業・伝統産業」についてですが、
昭和の高度成長期に「三輪そうめん」はナショナルブランドに変化していきました。

 

このような三輪そうめんの発展は、地元の産業にとって大変重要な事でした。
三輪そうめんが売れることで、付随する原料から包装資材、
周りにお住まいの方々の雇用、内職さん、大きな産業体ができあがっていきます。
まさに地場産業としての生業(なりわい)となっていくのです。

今でも「三輪そうめん」を地場産業と言っていただけると思いますし、
長く続けてきたからこそ「伝統産業」と呼んでいただけるのだと思います。

 

【平成~令和】素麺を使っていただくシーンを増やしたい

さて、平成に入り大不況がやってきます。いわゆるデフレです。
安いものが売れる。安いことが最優先という時代ですね。

ここまで百貨店取引を主に行ってきた池利や三輪そうめん業界は、
苦戦を強いられます。売上は毎年のように落ち込み、
収益悪化で苦しい苦しい時代になります。

ただ、この時もありがたかったのは、
昭和の時代に百貨店で販売していた「良いイメージ・良い物のイメージ」は
ギリギリ保つことができていました。

そのため、ブランドイメージはキープした中で、
「いかにそうめんを買っていただくか」を常に考えるように変化していきます。

令和になり、残念ながら不景気を脱出できずにいます。
そのため、池利は「いかに素麺を買っていただくか」に
素麺を使っていただくシーンを増やす』をプラスし、試行錯誤を重ねています。

 

実際に池利の商品を展示し、学生の皆様にご覧いただきました。

 

終わりに

さて、本日の講義内容「伝統産業」と「地場産業」についてですが、
三輪そうめんは「古くから受け継がれてきた技術や製法を今もそのままに使って、
日本の食文化、生活に根ざしている伝統産業」といえるでしょう。

また、「地場産業」としても「奈良県、奈良盆地の南部の地域で、
盆地特有の朝晩の寒暖差を利用しにその立地条件を生かし、特産品を製造している産業」ということができると思います。

 

しかし、これだけでは産業は衰退してしまうでしょう。

本日ご紹介させていただいた、様々な商品作りを行い、
お客様のニーズに合った商品を提供し続けてこそ、
「伝統産業」「地場産業」といっていただけるのではないかと考えています。

ただ、池利は自分たちの仕事を「伝統産業として」「地場産業として」は、ほぼ考えていないです。私だけではなく、ウチの社員もみんな考えていないと思います。

それは自分でいうものではなく、

周りの方にいっていただいてこそだと考えているためです。

 

ただ、1つだけ変わらず考えていることがあります。
「三輪そうめんあっての私たち」です。

確かに自分たちの会社が大切なのですが、
私たちは「三輪そうめん」で商いさせていただいており、
日々の生活をさせていただいていることを一番大切に考えています。

悲しい話ですが、たまにいるのです。
「自分たちがあっての三輪そうめんだ」という人が。

文字であらわすと、単に言葉が入れ替わっているだけに見えますが、意味合いが全く違います。
簡単な言葉ですが、常に発したり、常に頭にあることで、すべての行動が変わってきます。

 

「三輪そうめんあっての私たち」、今後も変わることのない思いです。

ご清聴ありがとうございました。これで終わりとさせて頂きます。

 

 

 

この記事をシェアする

  • Twitter
  • Facebook
  • Line